年賀状

2025年

寺、神社、白と年賀状の図案が続いたところで、「あんた、このままじゃ死ぬよ」とマツコ・デラックスさんに脅された。何故か『月曜から夜ふかし』で初公開が定番となった僕の年賀状。確かに少し枯れ過ぎかもしれない。そこで本年は、太陽が燦々と輝く沖縄・宮古島。リゾートホテルのフロントの大きなアーチの向こうには青い空と青い海が広がっていた。

2024年

北陸新幹線開業に合わせて金沢城は大きく姿を変えた。楼門や石垣、土塀が復元され、加賀百万石にふさわしい姿を取り戻した。くまなく城内を見て廻り、僕が見つけたお気に入りの景色。本丸からの帰り道に再建された橋爪門、五十間長屋を臨む。

2022年

石の鳥居もこま犬も、すっぽり雪に覆われているのは、青森県横浜町の横浜八幡神社。夕暮れ時、銀世界の鎮守の森に輝く無数ちょうちんの光を見つけ思わず車を止めた。新年にふさわしい日本の原風景。

2021年

森に佇む五重塔は、法隆寺に続いて日本で二番目に古いもの。奈良県宇陀市の室生寺は、女人禁制の日本の仏教界にあって、鎌倉時代から女性の参詣を受け入れ女人高野と呼ばれた。そこは仏教美術の宝庫。訪ねれば己の心を揺さぶる御仏に出会えるかも。

2020年

カナダ東部、トロントから車で約三時間のアルゴンキン州立公園。義妹を訪ねたら、カナダ人の夫にキャンプへ連れて行かれた。カナダ人の夏はひたすらキャンプとカヌー。森を歩き、湖に出れば担いできたカヌーに乗って水面を渡る。歩く漕ぐ、歩く漕ぐ。で、テントで寝る。熊に気をつけながらひたすら森を進むのだ。

2019年

前年の夏は暑かった。涼を求めて奥飛騨まで行ったのに。穂高岳を仰ぎ見て思わず川に入ってしまった。さて、僕はどこにいるのでしょうか。“ウォーリーを探せ”ではなく、“良純を探せ”。
カメラを見つめる僕は川の中で水浴びしている熊みたい。

2018年

“王将”ではなくて、“良純”だ!
山形・天童の名物、飾り駒は、だるまや招き猫と同じく縁起物。“王将”や“左馬”の飾り駒を見たことがあっても、“良純”は見たことあるまい。我が家の床の間に鎮座する、めでたい“良純”。これほど年の始めの年賀状にふさわしい物はない。

2017年

ジャンプ!乾いた空気の下で、肌を刺す真夏の陽射しがより強く感じられる。北海道、上ノ国町の日方泊岬灯台へと続く崖の上の小道で僕は思わずジャンプした。海の青さがハワイの海の青さに似ている。本州では絶対に味わえない光と音と風を満喫した。

2016年

炭鉱で栄えた筑豊。重労働の鉱夫にとって最大の娯楽が芝居。明治末期以後、遠賀川流域には50もの芝居小屋が建っていたという。現在、唯一残っているのが福岡県飯塚市にある嘉穂劇場。桟敷に座ると、不思議にも観客のざわめきや熱気を感じる。つかこうへい氏が子供の頃にその光景を眺めたに違いない。情熱あふれるつか芝居の原点がここにある。

2015年

真っ直ぐに伸びる吊り橋で、僕が自転車を片手にポーズをとるのは、広島と愛媛を結ぶ“しまなみ海道”の来島海峡大橋。村上水軍で名高い大島と今治を継ぐ三連橋だ。
約八十キロの“しまなみ海道”には自転車ロードが整備され、誰でも気軽に絶景サイクリングを楽しめる。レンタル自転車も各島にあるから、家族連れでも走れる距離だけ走ってみては。

2014年

良純年賀状史上の最高傑作の呼び声が高い、志賀高原・熊の湯スキー場で華麗にターンを決める僕。鮮明な白と青のコントラストは、青空を飛行機が横切った“マイルドセブン”のコマーシャルをイメージしている。
それにしても、正月休みのスキー場に人がいなかったのが寂しい。

2013年

高層ビルの並に、零れ落ちそうなプールの水。ここは、かの有名なシンガポールのホテル“マリーナベイサンズ”の屋上プール。誰もが写真を撮りたくなる構図。僕も撮ってしまった。

2012年

大勢の人ゴミの中に僕が佇むのは、新宿・都庁庁舎前。東京マラソンのスタートの列は1キロ以上。先頭から最後尾までスタートするのに二十分以上かかる。列の前方を眺め、時計を眺め、体を動かし、靴ヒモを確かめる。スタートを待つ人は誰もが期待半分、不安半分。僕の笑顔もどこかぎこちない。

2011年

オーストラリア北部、カーペンタリア湾の乾季の景色は、まるで砂漠のようだ。遠くのブッシュが、熱せられた地面の光の屈折で浮かび上がって見える。あの中には、雨季を待ちわびる巨大なクロコダイルが潜んでいるのだとか。

2010年

前年が新幹線ならば、今年は蒸気機関車。
僕がへばり付く機関車は、日本鉄道史に輝く名機“D 51”(デコイチ)。僕が小学生の頃には、まだ東京近郊でも走っていた。
軌道幅5インチの鉄道は、乗用横型の王道だ。小さくとも炉に本物の石炭をくべ、蒸気を沸かして動力としている。
カーキーグリーンのコスチュームは、鉄道の故郷、イギリスを意識しているのです。

2009年

ズラリと並ぶ白い口ばしは、東海道新幹線の 300 系と 700 系。東京・大井にある新幹線基地へロケに出かけた僕は大興奮。N 700 系のフロントボディーに抱きついて頬ずりしてしまった。
だが、同じ鉄道好きの長男を、仕事に帯同してしまった。まっ、滅多にないことだから。

2008年

見よ、この華麗なるフォーム。テレビ番組で特訓を受けた僕のボーリング技術はみるみる向上。中学三年生時の僕のベストスコアー 211 を遥かに上廻る、 259 を叩き出した。
「得意なスポーツは」と聞かれたら、僕は胸を張って「ボーリングです」と答える。

2007年

僕が漁船のデッキで大きな手長エビを手にしているのはカナダ東海岸のファンディ湾でのこと。
日本の漁師は、テレビと携帯電話から毎朝、気象情報を入手していると聞いていたが、カナダの漁師はラジオ頼りだとか。
「カナダの天気予報は、当たらない」と、カナダの漁師さんは嘆いていた。

2006年

長野オリンピックのスケートドーム“エムウェーブ”を滑走する僕の腰は、どことなく引けている。
東京・二子玉川にあった野外スケートリンクへ通ったのは二十年以上も前のこと。大きなフォームで疾走するはずだったのだが、写真の自分の滑りにガッカリ。

2005年

両手を広げる僕がいるのは、北大西洋上に浮かぶアイスランド。地球の裂け目にあるこの島は僕が立つ渓谷を境に、右はヨーロッパ大陸、左はアメリカ大陸へと今も動き続けている。
オーロラを観たいならばこの島へ。北米や欧州各地のように零下何十度の寒さを体験せずに、壮大な大自然のロマンに出会える。