プロフィール

1962年

1962年1月15日、神奈川県逗子市生まれ。お産婆さんの手で誕生。

1966年

聖マリア幼稚園入園。
物静かな子供だったはずだが、「あっ、いじめっ子」と同じ組の女の子に指を差されたと母が証言。信じ難い。

1968年

慶應幼稚舎入学。
国鉄、バス、都電を乗り継いで1時間40分、学校での記憶はほとんどない。通学の想い出ばかり。4年生時に東京へ転居。通学が楽になったら太った。

1974年

慶應義塾普通部入学。
サッカー部に所属。当時のサッカーはマイナースポーツ扱いだったから、運動は好きだが苦手男子でも楽しめた。ヘディングのせいで髪が天然パーマ化したのだと思う。弟に背を抜かれそうになり、牛乳を毎日1リットル飲み背が伸びる。

1977年

慶應義塾高等学校入学。
合気道部所属。サッカーよりも更に地味な部活。同期には、医者や弁護士になった者が多い。生徒会で外務委員長に就く。初めて作った名刺の電話番号が間違っていて、大勢の人に迷惑をかけた。

1980年

慶應義塾大学経済学部入学。
基礎スキー同好会「リーベン」に所属。当時の本拠地、志賀高原・熊の湯には今も通う。ゼミは金融論・村井ゼミ。
銀行マンになるところが、石原裕次郎叔父、大動脈瘤で緊急入院。これをきっかけに、映画『凶弾』でデビュー。大学4年生時ですでに、大門軍団員となる。

1984年

慶應義塾大学卒業。
就職先は『西部警察』と卒業名簿にはある。五代刑事の愛称は純。日産の名車、スカイラインRSIIを運転。

1986年

『太陽にほえろ!』水木悠、マイコン刑事。パソコンという言葉はまだ無かった。

1987年

セゾン劇場『朱雀家の滅亡』で初舞台。三島由紀夫原作の戯曲。登場人物は5人だけの濃密な時間だった。

1989年

ベルリンの壁が崩壊。時代が変わる。石原プロから、石原慎太郎の担当編集者だった三原栄子女史の助力を得て、(株)湘南ブラザース発足。社名の語尾は「ズ」ではなく「ス」。姓名判断で「ズ」では、字画が悪いため。破滅、破産の相だとか。

『アッコのかるーく見てみたい』(TBS)でバラエティー番組の初レギュラー。和田アキ子さん、梅宮辰夫さん、山瀬まみさん、羽賀研二さん、森口博子さん、田中義剛さん。今にして思えば、濃いメンバーだ。

1991年

NHK大河ドラマ『太平記』に新田義貞の弟、脇屋義助役で出演。乗馬の合戦シーンは本当に怖かった。名だたる武将がどんどん落馬していった。

1992年

初著書『あそびに行こうよコール』(新潮社)発刊。夕刊フジに連載していた百人の著名人との空想電話会話を単行本にまとめたもの。

1993〜1994年

『ホイットブレッド世界一周ヨットレース』のレポーターを務める。イギリス・ワイト島をスタートして、5つのレグで世界の海を一周するレース。各寄港地でスタートを取材。南米ウルグアイの海辺リゾート、プンタ・デル・エステは日本のちょうど真裏に当たる。ここを訪れた日本人はそういない。

1994年

ノルウェー・リレハンメル冬季オリンピックで聖火ランナーを務める。一緒に参加した上岡龍太郎氏にマラソンの楽しさを教わった。

1996年

ハワイ島・コナマラソンに参加。上岡氏の助言に従い、週50kmのトレーニングそのおかげで、4時間48分で無事完走。以後、約20回のマラソン大会に参加。自己ベストは2016年の鹿児島マラソンでの3時間55分22秒。

1998年

森田正光氏に推められて、気象予報士試験に挑戦。2度目の挑戦で合格。太陽、地球、空気、水。この4つがあるから気象現象が起こる。気象学は神の目を持つ学問なのだと知る。

★☆北区つかこうへい劇団公演『熱海殺人事件ーサイコパスー』で木村伝兵衛を演じる。稽古場で、役者の表情からセリフがどんどん変わっていく口立ての稽古。学生時代から憧れのつか氏と時間が経つのを忘れて稽古に励む。

2001年

『スーパーニュース』(フジテレビ)でウェザーキャスターに。約2分30秒のお天気コーナーを自由に任された。
安藤優子キャスターの番組の残り時間5秒のキラーパス。これをどうかわすかがキャスターの腕の見せ所だった。

2001年

『石原家の人びと』(新潮社)発刊。石原慎太郎家の歴史を良純流に振り返る。単行本と文庫本、合わせて33万部のスマッシュヒット作になる。

2002年

皮膚科医の稲田幸子さんと結婚。新聞には美人女医と結婚と書かれていた。
お祝いにつか氏から舞台『ストリッパー物語』、主人公のストリッパーのヒモ役をいただいた。氏は新郎の情婦が押しかけてこない僕の披露宴が退屈だったようだ。

2003年

『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)月曜メンバーに。番組開始をスタッフの誰も教えてくれない。楽屋のテレビを見ていて番組が始まったことを知り、階段を駆け降りスタジオに辿り着いても間に合わない。僕はレギュラー8年間で3度、出とちりした。

2005年

なると大使に任命される。
『中井正広のブラックバラエティー』(日本テレビ)スタッフの悪ノリ。他にもカニカマ大使、細工かまぼこ大使、笹かま大使、ちくわ大使、はんぺん大使、きりたんぽ大使、さきイカ大使、蕨大使、駒込大使などに就任。

2007年

NHK連続テレビ小説『どんど晴れ』に出演。主人公の老舗旅館の乗っ取りを企てる敵役。ダンディーに決めようと選んだ白い麻のスーツは、衣装合わせの直前にお会いした舘ひろし先輩の姿をパクらせて頂いた。

2011年

『トリハダ(秘)スクープ映像100科ジテン』(テレビ朝日)でレギュラーバラエティー番組の初MCを務める。

また『モーニングバード』(テレビ朝日)の月曜コメンテーターに。政治、経済、外交、事件、事故、スポーツ、芸能。何事にも楽しく対応せねばコメンテーターは務まらない。番組は2015年に『羽鳥慎一 モーニングショー』にリニューアルされる。

2013年

『みんなの疑問 ニュースなぜ太郎』(テレビ朝日)でTOKIOの城島茂さんと情報番組の初MCを務める。土曜の朝6時からと時間は早いが、時にニュースが飛び込む生放送はやりがいがある。後に番組は『週刊ニュースリーダー』にリニューアルされる。

2018年

『ザワつく! 一茂良純時々ちさ子の会』(テレビ朝日)がまず特番として放送。以降、翌年から『ザワつく!金曜日』としてレギュラー番組となり、2019年からは大晦日に拡大版の特番が放送されるようになる。長嶋一茂さん、高嶋ちさ子さん、高橋茂雄さん。まともなのは自分だけだと、皆が思っているに違いない。

逗子市広報大使に就任。

2021年

初めて大阪城ホール、日本武道館のステージに立つ。『高嶋ちさ子のザワつく!音楽会』は、番組とクラシック音楽のコラボ。図体のでかい僕は、ちさ子さんからトロンボーン奏者を拝命した。

2022年

地図大使に就任。
過去には、伊豆七島の神津島をPRする島じまん親善大使、アペリティフの日親善大使を務めている。

2024年

ベストファーザー賞受賞。
受賞は嬉しいが、1991年に石原慎太郎も受賞している。「え、ウチの親父も」と、なんとなく納得できない。

著作

著作
『あそびに行こうよコール』(新潮社)
『石原家の人びと』(新潮社)
『石原良純のこんなに楽しい気象予報士』(小学館 )
『東海道新幹線で行く 史跡めぐりの旅 ~石原良純責任編集~』(小学館)

その他

資格:普通自動車免許/小型フォークリフト/小型車両系建機/小型船舶一級免許/スキューバダイビングJP Open Water/スキーSAJ一級/気象予報士

逗子市広報大使
地図大使