2004年

豪華客船の甲板を走る僕がいるのは、メキシコ半島沖。豪華客船の旅は、食事が食べ放題。イタリアン、フレンチ、和食にステーキ。食べた分だけ走らないと。一周四百メートルもある船のデッキを走っているのは、僕だけだった。そりゃそうだな、みんな休みに来ているんだから、走らんわな。
豪華客船の甲板を走る僕がいるのは、メキシコ半島沖。豪華客船の旅は、食事が食べ放題。イタリアン、フレンチ、和食にステーキ。食べた分だけ走らないと。一周四百メートルもある船のデッキを走っているのは、僕だけだった。そりゃそうだな、みんな休みに来ているんだから、走らんわな。
プーケット島のプールの底は黒いタイル。だから、やしの木陰が水面に映る。タイ料理をバカにしていた僕は、初めてのタイ旅行で、パクチーの味に目覚めた。
アフリカ大陸最高峰五八九五メートル、キリマンジャロ山に登山。高度五千メートルの世界は、空気の量が地上の二分の一。一歩、二歩進んで、三歩、四歩目は足踏み状態。高山病の僕は、頭痛よりも吐き気に襲われた。ディレクターが「大丈夫ですか」というその笑顔の後ろで、「ギャラ払って連れてきたんだから、しっかり仕事しろ!」と乾いた目線で僕を見つめていた。
過去最低の年賀状。合成写真の上にへびを付けたのが大間違い。この年は海外ロケはなし。バブルも崩壊し、テレビの予算も減り、バンジージャンプやスカイダイビングをやるか、原住民と一緒に暮らさないと海外へ連れていってもらえなかったんだよね。
レシーブする私の姿。サーブを打ってくる相手はなんと、マッケンロー。この年はテニスに燃えていた。この後、私はテニスエルボになり挫折。先日はカルロスゴーン婦人にもコテンパンにやられてしまった。そういえばこの年、ニューヨークまでUFOの取材に行ったけれど、イーストリバーにUFOがもぐって行ったっていうのは、嘘なんじゃないかな。
灼熱の太陽に照らされて僕が走るのは、ハワイ島のコナマラソン。初マラソン前夜、僕は緊張と興奮で一睡もできなかった。それでも、スタートしたからには走り切る他ない。ハワイ島の乾き切った大地を一歩一歩、前へ進んだ。
アメリカ、グレードプレーンズ(中西部大陸)は、日本の国土の約13倍。僕はその大地の上を竜巻を探して走り廻った。“トルネード・チェイサー”は映画にもなった。アメリカの初夏の気象スペクタクル。僕が見上げているのは、上空でゆっくり渦を巻き始めた雷雲。いわば竜巻の子ども。運が良ければ?竜巻が発生する。
あれ、これどこだか分からない。ホイットブレッド世界一周ヨットレースの記音章を首から掛けているということは、プンタ・デル・エステ、オークランド、パース、フォートローダーデールのうちのどこか。海から陸を眺めると、案外、陸の景色って変わり映えしないものなのです。
ハワイ・オワフ島のパイナップル畑。オープンカーでドライブする僕は、ちょっと不安気に雲行きが怪しくなって来た空を見上げていた。常夏の国ハワイでは、乾季の夏の方が気候は安定する。幸い僕もシャワーに見舞われることはなかった。ただし、夏のノースショアには大波は押し寄せない。
南米ウルグアイは、日本とはちょうど地球の裏側に当たる。だから、アメリカ経由でも飛行機に乗る時間は変わらない。貿易協定のウルグアイ・ラウンドが結ばれたプンタ・デル・エステを二年続けて訪れた日本人はそうはいまい。
プンタ・デル・エステとは、スペイン語で“東の岬”を意味する。白壁のテラスは南米・ウルグアイのリゾート地、プンタ・デル・エステ郊外にあるウルグアイの著名人画家の邸宅。ロケの合間、あまりにも吹く海風が気持ち良いので日なたぼっこしてしまった。あっ、僕が眺めているのは海じゃない。約100キロもあるラプラタ川の河口です。