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週刊新潮 七月十九日号
「石原良純の楽屋の窓 」
208回
TSUNAMI

「海に異常なし」
 双眼鏡を覗いていた僕が声を張り上げると、横で弟が何やらグルグルと鉛筆で原稿用紙に丸を書く。
 テレビが地震を速報し、僕の住む神奈川県沿岸にも「津波の恐れあり」と警報が発せられる。すると僕ら兄弟は、家の中で海の眺めが一番良い二階の親父の書斎へ駆け上がった。
 普段ならば、親父が出かけていても、親父の気配が残る部屋に子供の僕らが足を踏み入れることはない。しかし、事は緊急を要する。僕らには、逗子の海岸線を守るという責任感が確かにあった。
 僕は親父愛用の双眼鏡を首にぶら下げて、親父の椅子の上で仁王立ち。弟達は親父の原稿用紙と筆記用具を広い机にブチまけて待つ。津波監視員遊びは、ひたすら海を眺めることに飽きるまで続いた。子供心に白く泡立つ巨大な波が水平線の彼方から押し寄せて来るのを、どこかで期待していたのは言うまでもない。
 ♪見つめ合うと素直にお喋り出来ない 津波のような侘しさに♪
 次に僕の頭に浮かぶ津波の思い出は、サザンオールスターズの『TSUNAMI』。海を愛する者も、さほど愛さぬ者も、ちょっと切ない大人のメロディーに酔い痴れた覚えがあるに違いない。
 だが、本物の津波はそんな懐かしいものでも、甘いものでもない。死者行方不明者二十三万人余りを出したインドネシア・スマトラ沖地震津波の記憶は鮮明だ。
 風光明媚なリゾートの砂浜で、ワケも分からず高波に呑み込まれる観光客。人々のざわめきと車のクラクションが鳴り響くなか、不気味な瓦礫の山がブルドーザーのように人も車も、建物さえも押し潰した。自然の脅威をまざまざと見せつけるそんな光景が、世界中の人々の記憶に深く刻み込まれた。
 四方を海に囲まれた国に暮らす日本人にとって、津波は人ごとではない。
 ところが先頃、宮城県沖で発生した強い地震に伴い津波警報が発令された三陸地方では、実際に避難したのはわずか二割の人に過ぎなかったという。
「津波は恐い」と頭で理解していても、「自分だけは大丈夫」、と多くの人が高を括っているのが現実だ。そこで『素敵な宇宙船地球号』(テレビ朝日系・日曜夜)では、津波の破壊力を再認識し、必ず起こりうる自然災害に備えてもらおうと、”緊急シミュレーション 津波の恐怖”を放送する。
 僕が向かったのは、神奈川県横須賀市にある『港湾空港技術研究所』。工場のような大きな建物の中の長い長いコンクリートプールは、百%護岸整備された都会のドブ川のようにも見える。 
 ブザーの音と共に実験開始。まず、人工浜に押し寄せてくるのは波高一メートルの高波。波は水深が浅くなると波頭を白くもたげ、崩れ落ちた。サーフィンするには、ちょっともの足りない波といったところか。
 水面が静穏を取り戻したところで、今度はさっきと同じ高さ一メートルの津波を発生させる。再びブザー音と共に装置は一段と大きな唸り声を上げたが、やって来る津波は、一メートルの高波となんら変わりがないように見えた。
 ところが、人工浜に波が到達すると驚いた。防波堤代わりの厚さ三センチのベニヤ板は、波に叩かれ真っ二つ。さらに波はプールの奥の法面を上へと遡った。
 高波は一瞬のエネルギー。波が崩れるとエネルギーは失われる。津波は地震の地殻変動で造られた巨大な水の塊。岸に上がっても波頭が崩れるだけでエネルギーが失われることはない。
 大自然に比べたらほんの僅かな再現スペースで、この大迫力。僕は、凶暴な津波の本性を垣間見た思いがした。
 いつ津波が来てもおかしくない日本。これは必見。

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