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週刊新潮 六月二十三日号
「石原良純の楽屋の窓」
106回
さらば、『画王』 

「粗大ゴミ」
「無意味にバカでかい」
 出演者全員から寄ってたかって、僕が出品した商品を扱き下ろされたのは、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の“タレントフリーマーケット直販”でのこと。
 この企画は、芸能人の家に眠るお宝商品を、テレビを通じてフリーマーケットする。もし、視聴者が気に入った品があれば、携帯サイトから購入できる。
 出品者は、スタジオで商品の価値を熱く語れるように、思い出深い品を出品してください、と打ち合わせの席でディレクターに頼まれた。だから僕は、清水の舞台から飛び降りたつもりで手放すことを決意した、長年愛用のパナソニック製『画王』なのに、なんたる言われようだ。
 三十二インチの画面は、『画王』の名のとおり当時最大。大きな画面の大きなブラウン管は、とてもブ厚くて、その結果テレビは、ドでかいダンボール箱のようでもある。
 安アパートに運び込んだら、床が抜けてしまうだろうテレビの重さも『画王』の特徴の一つだ。
 購入時、二十代だった僕は、どうにか抱えて独りで持ち上げることが出来たが、四十代の今の僕は、ギックリ腰を恐れて、独りはおろか二人で持ち上げることも御免被る。
 津川雅彦さんだかが、王様の格好をして「画王じゃ!」と嗄れた声で指差す。ごちゃごちゃと登場人物の多い壮大なテレビコマーシャルも、テレビ界の百獣の王に相応しかった。
 “カウチ・ポテト族”なんて言葉が流行った時代には、都心のマンションで、お気に入りのソファーに寝転んでポテトチップ片手にフローリングの床に転がした『画王』でテレビを見るのが、若者の憧れだった。
 僕は十六年前、実家を出て独り暮らしを始めるに当たり、秋葉原のヤマギワ電機で購入した。代金の四十万円は、月賦で買った墓に次いで、僕にとって高価な買物だった。
 ちなみに、永代供養料込みの四百万円の墓地は、親の勧め。菩提寺の墓地が拡張し、石原家の墓が移動することになり、その跡地を「こんな出物は、二度とないぞ」と勧められた。
 長男の兄は本家の墓に入れるのに、なんで次男の僕は何百万も、それもローンまで組んで墓を買わなければならないのか。
 「石原家の墓が増えてゆくことが、一家繁栄の証しでもあるのだ」
 そう言ってニッコリ笑う親父もまた長男。やっぱり石原家は長男優遇に思えてならない。
 僕と同じ次男の裕次郎叔父も、生前、逗子の墓に入れないことを憤っていたのを思い出した。
 墓はともかく、僕にとって最大の買物だった『画王』が、新生活のマンションに初めてやって来た日のことは覚えている。
 石原家の人間で、初めて山手線の内側に住んだ僕の部屋からは、遠くビルの谷間に東京タワーが眺められた。どうせ始める独り暮らしならば、と奮発した部屋のリビングは広かった。家財道具など何もない部屋の真ん中に、届いたばかりの『画王』を置いて、鮮明なテレビ画像とオレンジ色に輝く東京タワーを交互に眺め、ウィスキーのオンザロックを飲んだ。
 以来、仕事のない休日には、一日中、独り部屋に籠り切りでテレビやビデオを見た日もあれば、仲間が大勢集まってサッカー観戦をした夜もあった。
 ドラマはもちろん、バラエティーも、舞台中継も、天気予報も、この画面で自分の姿をチェックした。
 三度の引っ越しを共にして、僕の歴史のぎっしり詰った『画王』を、粗大ゴミ呼ばわりするとは。
 でもね、今月の引っ越しで、置き場所がないのも事実なんだよね。
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