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週刊新潮 十月十九日号
「石原良純の楽屋の窓 」
171回
目指せ 億万長者

国内景気の回復、ニューヨーク株式市場の最高値更新、原油価格の下落。こんなニュースが新聞紙面に躍る今日この頃。
 ならば、・株・は買いでしょう。
 三人一組の三チームが、二百万円の資金で株取引に挑戦し、五十日間の売買で利益の多寡を競うのが、『ザ・マネーウォーズ〜芸能人完全自腹で株式投資するぞスペシャル〜』(TBS系・十二日夜放送)。
 自称、株の達人が率いるチームがあれば、株未経験者ばかりのド素人チームもある。その中で、西川史子さん、東貴博さんと僕のチームは、それぞれの特技を生かして銘柄を選ぶ、優勝候補だ。
 都内某所のマンションでインターネットを利用して株売買は行われる。時間の許す限り、三人が集まって戦略を練り、その場で売買する。投資期間は、梅雨真っ最中の六月と七月。
 僕は気象庁の三ヵ月予報をもとに、夏を猛暑と想定してビール株や、行楽の人出で賑わうであろう鉄道株を推奨する。
 西川女史は、医師の立場から紫外線対策、お肌のケアということで製薬株を勧める。そんな二人の意見を取り纏め、パソコンを操るのが東さんだ。
 株式投資はいわば勝負事。勝負事となれば、自ずとその人の性格が現われる。
・石橋を叩いても渡らず・慎重派の僕は、熟考して買った株が値上がりするのをじっくり待つタイプ。
 西川女史は、大型株の株価のゆるい動きがまどろっこしく、ジャスダック、マザーズ、ヘラクレスと変動の激しい、新興株に食指が動く。
 二人の主張に板挟みの東さんがは、一番気苦労が多かったのは間違いない。
 思えば僕の株式投資経験は、二十数年前まで遡る。
 時あたかもバブル前夜。世間の目が一斉に株式市場に注がれ始めた頃、証券会社に新卒採用の同級生のノルマ達成のお手伝いに、投資信託を購入したのが始まりだった。
 初利益を上げたのは、忘れもしないAビール。新人証券マンの親友の推薦で、千株買って二ヵ月で十六万円の差益を得た。僕が株といえば、ビール株を連想する由縁がここにある。
 当時は、・ある筋の情報・、・ココだけの話・が巷に溢れていた。
 A汽船が必ず上がると小耳に挟み、早速に注文。しかし、よくよく話を聞くと社名を間違っていたことに気づいた僕は、慌てて株を売りに出す。
 訳の分からないバクチには手を出さないのが、ギャンブラーの鉄則。僕の株式投資熱は、あっという間に冷めた。
 おかげで、昭和六十二年のブラックマンデー、株価の大暴落に街中が静まりかえっていたあの日。芝居の稽古に首都高を走る僕は、全くの平常心で車を運転することができた。
 大学時代に経済学部の金融論のゼミに所属した僕は、「株式投資はバクチ」と発言して、ゼミのグループ研究で吊るし上げられた覚えがある。
 株は企業の資金調達の重要な手段。企業に充分な資金が行き渡れば、新たな技術やサービスが生まれ社会が豊かになる。「株価が上がった、下がったと目先のことばかりに気をとられるな」と諭された。
 ゼミの多くの友人は、その後、銀行や証券会社など大半が金融機関へと就職した。転職があたり前の今の時代、ゼミの友人達は金融再編が進む時代を、どこで頑張っているのだろう。  
 さて、元金二百万円はどこまで増えるのだろうか。
 でも僕は、二百万がゼロになろうとも、いっこうに構わない。
 なぜならば、僕には毎週木曜日の・ロト6・がついているから。
 近い将来、僕は必ず億単位の金を手にするだろう。

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